昭和59年06月23日 月次祭
信心すれば目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげの方が多い。と教えておられます。私共が段々信心をして神様のあらたかなおかげ、働きを段々感じますが。その有り難いと言うても本当のおかげを頂いて有り難いは、例えば難を思う人があれば同じ事柄でも、千にも万にも有り難いと心から思えれる人もあります。信心とは目に見えるおかげが段々はっきりと見えてくる。
今まで気が付かなかった知らなかったおかげを、ほんとあれもおかげであったこれもおかげであったと。いよいよ深く広く分らして頂く事が信心の成長だと思います。私は今日透析日でしたから病院に参っておりましたが、ふともう40年にもなりましょう北京時代の事を思わして頂いて、本当にその頃矢張りおかげ頂いて信心しておるおかげでと、確かに思うておりましたけれども。
そのことの意味と言うか深さと言うか、本当に畏れ入るばかりのおかげを受けておったことを気付かしてもろうて、(?)新たなお礼新たなおかげを実感させて頂いておりましたら、治療を受けます6時間の時間を時間に感じませんでした。その帰り車の中ではお話も出来ない位にいつもグッタリと疲れるんですけれども、今日はその疲れがなかった。帰ってからすぐ寝ておりましたけれども、寝らんで済むおかげを頂いております。ほんとにこの有り難いと言う心がいよいよ縋って来ると言う事。
今お互いおかげだと思っておるおかげが、倍にも、またその倍にも有り難いと気付かして頂いて、それこそ何十年前の事を思い出して、新たな感激を頂くと言う事、本当に信心させて頂いておる者でなからなければ、感じる事の出来ないおかげの世界だと思います。今日そんな訳で起きておりましたから、ちょうどその時に田主丸の石井さん達夫婦がお礼に出て参りました。昨日はあちらの謝恩祭でございましたから、大変有り難いお祭りを頂いたと言うてお礼を申しております。
それに今日車の中で、久冨繁雄さんが合楽の夕べの月次祭は本当に有り難いお祭りでしたが、謝恩祭のお祭りでしたが。あのうあちらのお子さんやら甥御姪御さん達、丁度揃うた年配の子供達が10人位あったでしょうか、玉串をあげました本当に有難い事だと言う話を聞かせて貰いました。昨日のお祭りには石井さんの甥に当たります、久保山順先生、末永兄弟の先生達が3人でお祭り前のせんじゅの御用に行っております。
本当に段々信心が本当な信心になるに従って、末のものもおかげを頂いて、呉服屋さんでございますから増々発展の一途を辿らして貰うというお繰り合わせの中に、まぁ昨日のお祭りというおかげを頂いた訳ですが。私はその繁雄さんの話を聞きながら、本当にお母さんたちの信心が今の社長である、石井信次郎さんであり、そしてまたその沢山の子供達の上にも段々おかげが伝わって行くだろう。
これが本当の子孫繁盛だなと。金光大神は子孫繁盛の道を教えると仰るが、それを地でおかげを頂いて言っておるなと思わせて頂いておる、途端に車の中で大きなおいさみを頂きました。それこそおかげをおかげとね。いろいろおかげをより良いおかげと感じた時に。神様の心にその様にして響いて行くのだなと思います。それで二人の御夫婦に今日お話をさして頂いた事でございますけれども。
今日病院で私しが感じた40年も前の出来事やら事柄のおかげを、おかげと思うてはおりましたし、けれども今日ほどに深く広く、あぁいうおかげを頂いておったんだなぁと思った実感が、なら6時間というなら修行の時間を、時間を感じない位におかげを頂いて、今帰って来た所だと言う話を、まさして頂いたんですけれども。私は兵役の関係のないだろうと言われて居った丙種合格でしたから。ところがやはりもう兵士の人達でもどんどん召集、丁度その日北京、点呼がございました。
大変きたわれてはぁやれ一服さして頂こう、ゆっくり休まして貰おうと思うて帰りましたら、待っておったのは赤紙でした。召集令状でした。その時分の事を今日は寝ながら思わせて頂いたんですけれども。よぉうあの時に私しが召集され、後は家内と豊美が4っつ、若先生が2つでした。私はその当時酒屋をやめて、総領事館の購買を友人と一緒にさせて頂いとりましたが。私が止めまして後はあんた代りに奥さんを出して下さいと言う事でしたから、家内が私しの後を受けてま参りましたが。
本当あの時分に家内の姉夫婦がちょうかこうに確かおったと思うんですが、ようあの時にようお婆ちゃんが北京に来ておった事だなぁと思います。お婆ちゃんは大変強い方でしたから、まぁ二人の孫たちを見てくれ、うちはひいてくれる。家内は私しが務めておった所へ勤めさして頂いて、何の支障も無くおかげを頂いておった事の時分の事をいろいろ思わして頂いたら、本当におかげを頂いて生きておるなぁと、また次々とおかげを頂いて来て今日のまぁ合楽のある事などを思い合わせて。
今日はほんとにそういう有り難い有り難いの思い出を、いよいよまぁふくらましたと言うか、大きく頂いて。今日の修行をそれこそ嬉しゅう受けさせて頂いた。そんな話をあんむつやさん石井さん夫婦に、ま致しました。本当におかげと思うておるけれども、まぁだまぁだ頂いておるおかげは、それこそ目に見えない所に、目に見えるところ、本当に神様の細やかな御演出のもとにおかげを受けておると言う事を、段々深く広く分らして頂いてお礼の本当のお礼の生活が出来るおかげを頂たいね。
というてま話した事でございますが。お互い頂いておるおかげを段々大きな深いものに、厚いものにして行くと言う事は信心がだんだん進んで行く事だと思います。私共は日頃頂いておる御教え、本当に成程なるほどと有り難く頂いて合点しております。その御教えがもうわかり切っておる御教えを、何かのまぁ拍子にとでも申しましょうか。何か事があった時にふっとこう迷いが出たり、うろたえたり、いやまるきりその事を失念してしまっておるかのような状態の事がございます。
ここは御理念を持ってしたらどう頂くべきか。もう十分できておる分っておると思うておる事が、出来ない事がございます。もう2,3日前熱心に御夫婦で御信心のある方がございますが。久しぶりで私しの所へお出でられて、今日は先生に、深刻なまぁお届け親先生に聞いて頂こうと思うてと言うてみえられました。聞けば聞く程なるほど深刻なお話でございましたが。その時にちょうど金光様のお宅で19日の日に、三代金光様の奥様であるきくよ姫の20年の式年祭がございまして。
ここから古川がおかげを頂いておりましたが。心ばかりのお供えをさせて頂いておりましたら、その式年のしのび草を頂いて帰ってくれました。今日そちらで今日はどんなお話をさして頂こうかと思うたら、そのしのび草の事を頂くんです。ハァ是を芯にして今日は皆さんに御話し聞いて頂くんだなと。きくよ姫のお書きになった短冊でございます。神信心と書いてあります。神(しん)信(しん)心(しん)とも読む訳です。
その方もいわゆる深刻なお届を聞かせて頂いて、今この方がどういうありかたになられたらおかげを受けられるかと。いうことをお取次ぎさせて頂きましたら、丁度これを頂いたこの事を頂くんです。神、信、心、まぁそれを神信心といゃ神信心それまでなんだけれども、信心とはいよいよ神を信ずる心を、より強く深く頂いて行く事だと思うです。神様を信じていないという人はありますまいが。その信ずる心はいよいよ大きなものに本当なものに、して行くと言う事が信心なのです。
ですからこの短冊を見て頂いてこれですよ、いよいよ日頃頂いておる神様を信じて疑わない心をこういう時に、おかげを頂いて作って行く事ですと、まぁ分かった様な分らない様な私し自身も説きながら思って、まぁちっと明快な答えはできんものかなぁと思ったけれども。まぁそれなりに、いやぁ今日はそれでいい。久しぶりで先生にお目にかかったから心がスットしました。というてまお帰り名なったけれども、何か私はもう一言ちょっと足りなかった様な気が致しておりましたから。
そのことをまた神様に御願いをさせて頂きましたら。土の心と頂きました。泥の心。ほんにもう合楽の信心の神髄はもう是だといわれる。もうそれこそどれほど成り行きを尊ぶ、とか大切にするとか、黙って修めるとかと言う事はどろの信心なんです。このどろの信心を分り切っているようにあって、分っていない。それは大きな事であればあるほど、深刻なことであればあるほどに、それほどいうなら神様を深く信ずることの出来れる。大きく頂く事の出来れるいうならば、機会を頂いておるのです。
はぁこれをいよいよどろの心で受けて行ったら、どんな心の状態が生まれるだろうか、豊かに大きく心が育つ事のために神様は、難儀と思われる事柄も深刻と思われる事柄も。ね。与えて下さるんだ。それをいわゆる黙って修めると、もうそれこそその方とてももう分り切る程分り切っておられるし。私も分り切る程分り切っておったけれども。この神信心と言う事の説明を。このどろの心ですよと、あの皆さん。もうこういう時こそいよいよどろの心で頂きぬく事です。
ちょっとこの位の事ならば、はぁここはどろの心でとこう頂いて出来ておるかの様にあるけれども。それがすごく深刻になったり大きなものになったりしたら、もうそこに心に迷いを感じる難儀を感じる。日頃頂いておる御教えが頂けとるようだ有っていよいよ時に頂けていないというな事が、お互いの上にも沢山ありはせんでしょうか。私共言うならば信心しておってこれから先、どの様な事が起って来ても驚いてはならぬぞと仰せられる。驚かんで済むだけの神様の働きを知っておる。感じておるのですけれども。
それはそれこそこれが驚かずにはおらりょうか言う風にして驚いてしまう。それでは折角の頂いている信心が、本当に芯軸になっているとは言えない。私共いよいよ頂いておる信心をどの位フルに、日常生活の上に頂きそして現しておるか。そういう私しは生き方を自分の信心の構えとして頂いていくならば。言うなら心が育ち豊かになり、そして今までおかげとも気付かなかった事いゃおかげとは気付いておっても、そのおかげは10倍にも20倍にもしていけれるおかげの実感と言うものもまた頂けると思います。
信心のお育てを頂と言う事は、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多い。と仰せられるが今まで気が付かなかった知らなかった。目に見えるおかげより目に見えぬおかげが見えてくる。見えて来ると言う事はいよいよおかげの実感と言うものは頂ける。そのほんとに有り難い事だと思う心が10か20は100、200もの有り難いになって来る時に100も、200ものおかげの世界も、また広がって来ると言う事になるのですから。
お互いも知ったおかげより知らぬおかげの世界を、垣間見るだけでなくて。それを実感として受け止められる信心を頂いていきたいと思います。また頂いておる御教えをね。どの様な場合であっても。ここはこれにももってこう頂くと腹が決まった途端に。心は騒ぎません驚かんで済みます。心にゆとりが安心が生まれて参ります。いやむしろ是でまた一塩これでひと徳また受けさして頂くという元気な心も湧いてまいります。
どうぞ今までおかげと思うておったおかげを、もっともっと大きなおかげに感じられる生き方を身に着けて行きたいと思います。神信心。お互い神信心しておりますが、神様をしんずるその心と言うものが、一年一年こんなにも深く、こんなにも有り難いものそして受け止められていく、確かな手応えをまぁ感じて信心を進めて行きたいと思います。振り返って見てあれもおかげであった、これもおかげであったということは、その当時おかげおかげと思うておるおかげを、ね。
もっともっと深く大きく感じる事の出来る時、初めてはぁお互いの信心が、これだけは進んで行きよるんだなというふうな。まぁおかげの手ごたえを実感さして頂きながらの信心であったら信心の稽古はもっともっと有り難い楽しいものになると思います。どうぞおかげを頂いて下さい。どうぞ本当の神信心をして下さい。それは神を信ずる心が、去年よりも今年、その信ずる心がいよいよ本当なものに、力となって頂ける事を私しは神信心と。まぁおかげを下さっておるのじゃないかと言う風に思いました。
どうぞ。